水のような感触を予想したけど、肌に触れるものはなかった。
 何の感触もないまま、オレ達はあっさりと頭まで旅の扉に飲み込まれた。と思ったら、足が床につく。

「着いたぞ」
「え?」
 フェンに言われて反射的に閉じていた目を開けると、オレ達は見覚えの無い小さな部屋の中に立っていた。
 誘いの洞窟よりも黒っぽい石で出来た真四角の小部屋には鉄製の扉が一つある。フェンの腕に捕まったまま後ろを振り向くと、壁と同じ石の台座で出来た旅の扉がある。

「ここから入るとアリアハン側の旅の扉に出るんだろうな」
 手を離して階段を降り、オレはもう一度旅の扉をながめる。この中を通って今いる場所に出て来たのだろうけど、旅の扉を通ってどうやってこんなところに立たされたんだろうか。そのあたりの理屈が全くわからない。つくづく不思議な装置だ。

 オレは再びランタンに火をつけて、明かりの魔法を唱えなおした。
「ロマリア近くの祠に出ている筈だよね」
「その筈だな。張り切っていこうぜ」
 小部屋から出てみると、うす寒い空気を感じた。確かに空気がアリアハンとは違うかもしれない。
 初めての異国に胸が高鳴る。オレは意気揚々と出口を目指した。


「勇者カイリ・マディリアス様でしょうか?」
 旅の扉があった祠を抜けて北上すること数日。オレ達はロマリア城下町へと辿り着いていた。だが、街の出入り口にある城門を通り抜けようとした時に、名前を呼ばれてオレは驚いた。
 オレを呼び止めたのはロマリアの城門を守る兵士だ。
 困惑したオレは、訳がわからなかったので、とりあえず後ろを振り返って仲間達を見てみた。

「陛下がロマリアに連絡されたのかもしれません」
 マリーが囁いた。最初の行き先がロマリアだということはわかっているから、連絡が行っているのはおかしくない。オレの顔を兵士が知っているのは、アリアハン側の使者がオレの似顔絵をロマリアに渡したからだろう。
 つけてくれた従者はマリー以外はろくでもなかったくせに、こういう変なところで手際がいいなとオレはアリアハン王宮に呆れた。
 オレが頷くと、兵士は姿勢を正して口を開く。

「ロマリア王が勇者殿を城に招きたいと仰せです。是非とも、王城にお立ち寄りください」

 まだ旅立ったばかりで何もして無いオレに、勇者なのだから挨拶しろ言われてもなあ、とは思うけれど。

「わかりました。後ほど王城に挨拶に伺います。国王陛下にはカイリ・マディリアスが陛下のご好意に感謝しているとお伝え下さい」
 心の中でため息ついてから、オレも兵士同様背筋を伸ばして言った。
 ロマリア王の招きを受けないわけにはいかないだろう。一応アリアハン公式勇者の看板を背負っているわけだし。

 城を訪ねる時間を決めてから、オレ達は門を越えて街の中を歩き出した。
 ロマリアは文化がアリアハンと近い為に、街に対しての違和感はさほど無い。けれどよく見れば街の通りの様子も窓辺に飾られた鮮やかな色の花もオレの見たことの無いものだ。とうとう外国に来たのだなと、オレは実感した。
 大国であるロマリアの城下町は流石に美しく、活気があった。色々見て回りたいけれど、まずは宿屋に行かなければならない。旅の間に砂塵で汚れまくったこの格好をどうにかしないと格好悪くて仕方ない。
 昼過ぎには王城を訪ねると約束した。
 ロマリアにオレの似顔絵が渡される程度には、アリアハンはオレを援護してくれる気のようだ。一応オレはアリアハンの看板を背負っていると言えなくも無い立場だから、身なりはきちんとして行こう。


 身支度を整え、約束の時間より少し早めにオレ達はロマリア城に行った。三人揃ってロマリア城を見上げる。故郷から出たことの無いオレとマリーは、アリアハン城以外の城を初めて見た。

 名高きロマリア王城は、オレの知る城よりも大きかった。アリアハン城よりも外装も内装も優美で華やかな印象を受ける。アリアハン王城よりも新しい時代に作られたロマリア王城は、その当時の技術の粋を集めて作られたという。
 透けて見えるアリアハンへの対抗意識を笑うアリアハン人もいるけれど、確かにロマリア城は華麗で美しい城だった。

 明るい日差しの入る回廊を抜けて、オレ達は謁見の間に通された。台座の上には黄金で出来た椅子があり、恰幅のいい男性が一人座っていた。彼がロマリア王だろう。傍に大臣らしき男が立ち、部屋の端には兵士が十数人立っている。
 王の前まで来て、オレ達はひざまずいて挨拶した。

「よくぞ来られた、勇者カイリ・マディリアス殿」

 ロマリア国王はアリアハン国王とよく似た雰囲気の王だった。老齢のアリアハン王よりも二十歳程若いだろうけど、印象がよく似ている。ロマリア国王は二十年後にアリアハン王のような外見になるのかもしれない。

「であるから、勇者殿よ。盗賊カンダタから、金の冠を取り戻していただきたい」
「……」

 アリアハン王とよく似たロマリア国王は、庶民のオレにはわからない長い挨拶をした後に、さりげなく無理難題を押し付けてきた。
 アリアハン王に、そんなところまで似なくていいのにとオレは思う。

 出合ったばかりのロマリア王に対するオレの評価は、この短い謁見の間に急落している。アリアハン王といい、ロマリア王といい、王という存在は人をなんだと思ってるんだろう。
 ここ一ヶ月の間に、オレが今までなんとなく偉い存在だと思っていた王様というものに対する敬意が、ものすごい勢いで減っている気がする。

 王をフォローするように話し始めた大臣の説明によると、カンダタという盗賊にロマリア王の大事な冠が盗まれたという。王はその冠を取り返してきて欲しいとオレに依頼したのだ。
 王の象徴たる王冠が盗まれて、それを他国出身の旅人に取り戻させようとするなんて、何を考えているのだろう。彼らに面目や誇りはないのだろうか。

 心の中で文句を言っても看板背負う勇者は拒否できない。
 取り戻せばロマリアでもオレを勇者として認めようとまで言われたら、引き受けるしかないじゃないか。



 盗賊カンダタとは、ここ十年ほどロマリアを中心に活動する盗賊団の首領の名前だ。彼らはロマリア北西部の草原に建っているシャンパーニの塔を根城としているらしい。
 少数精鋭主義なのか、構成員の数は少ないけれど実力者が多いようで、王が何度兵士をやっても逃げられるし、盗みの手口も巧妙で現場に全く痕跡を残さない。
 憮然とした態度を隠さないカンダタ対策担当騎士の簡単な説明と言い訳を聞いてから、城への滞在を薦める大臣を振り切って、オレ達は城を出た。

 兵士の持つ情報じゃ、カンダタの盗んだ王冠を取り返すには全然足りない。
 宿の隣に建っている食堂で夕食を食べながら相談した結果、フェンの提案を採用して街で聞込みをすることにした。
 夜の街に出したら危なそうなマリーは留守番だ。

 マリーはレーベからロマリア城下町まで歩く間には何も言わなかったけれど、短くない期間続いた連続野宿は、基礎体力の無い彼女にとっては、やはり相当辛いものだったのだと思う。負けず嫌いのマリーにしては珍しく、彼女はオレの提案を素直に聞いて早々と自室に入っていった。
 ちなみに、マリーには個室をとったけど、オレとフェンは節約の為に少し安い二人部屋だ。荷物を宿屋の親父に預けてから、オレとフェンは外に出た。

 フェンは心配してくれたけど、オレだって一人で聞込みくらいできる。旅立ち前のアリアハンでは何人かの冒険者達とも交流があったし、どうやって彼らと話せばいいかぐらいはわかっている。
 だから、オレとフェンは別々に情報収集を始めた。


 一人になったオレは夕方から出てくる店を冷やかしながらカンダタの事を聞いたけど、たいした情報は得られなかった。王城で聞けなかった情報といえば、カンダタが案外街の人々に嫌われていないということぐらいだ。
 塔に住み着く盗賊と聞いてアリアハンのバコタのような奴を想像してたのだけど、一般家屋から盗みをしていたバコタと違い、カンダタは評判の悪い金持ちからしか盗まないらしい。
 王冠が盗まれていたことは流石に誰も知らなかったけど、盗みのターゲットにされたってことは評判悪いってことだよな、あの城…。

 城への不信感を募らせつつ、オレは何時間か夜のロマリア繁華街で情報収集を続けた。だが、あまりにも似たような話しか聞けなくて、だんだんオレは疲れてきた。
 別行動のフェンはどうだろうと思う。彼は何か調べることができているだろうか?
 宿に女の子一人でいるマリーのことも心配だし、情報収集は一旦切り上げ、一度宿に戻ってみたほうがいいかもしれない。

 冷やかしついでに飲んだ酒の酔いもまわってきた。
 ふと覗き込んだ路地に座り込むのに良さそうな木箱が置いてあったので、オレはその路地に入り込む。何が入っていた箱かはわからないけど、見たところ丈夫そうだったので、オレはその箱に座って休憩することにした。
 その辺りに落ちていた木板で自分の顔から首の辺りを仰ぐ。酔い覚ましを兼ねて、しばらくここで休憩しよう。

 目の前に影が差したような気もするけど、気にせずにオレはぼーっとしていた。
 影が揺れている。何も考えて無いオレはしばらくそれを眺めていた。

「よお、兄ちゃん。旅行者かい?」
 ぼーっとしていたら頭の上から声が降ってきたので、オレは反射的に顔を上げた。
 目の前には若い男が四人立っていた。いかにも柄の悪そうな四人組は、にやにやと下品な笑みを浮かべながらオレを見下ろしていた。
 酔っているオレは、考え事をしていたこともあり、迂闊にも自分が囲まれていることに気付かなかったのだ。

「金貸してくれよ」
 黙って見上げていたら、予想通りのことを言われた。アリアハンにもこういうちんぴらはいたけど、この手の奴らはだいたいが見掛け倒しで、スライム一匹倒せるかどうかも微妙な手合いが多い。
 勇者の息子であるオレに絡んでくる奴は少なかったけれど、全く無いわけじゃなかった。でも十歳の時から剣の修行をしているオレは、ただのちんぴらなんかに負けたことは一度も無い。

「悪いけど、無駄遣いするなって言われてるんだ」
 煩いだけの奴らなんて全く怖くない。
 オレは立ち上がって、ちんぴら達を眺めた。うち二人に身長で負けているのが、少し腹が立つ。
 馬鹿にするように肩をすくめてみせると、すぐさまちんぴら達はいきりたってきた。

「んだと、てめぇ!」
「いきがってんじゃねぇぞ!」

 一番前に立っていたそばかす顔の男が、だみ声ですごんできた。彼がオレの胸倉をつかもうと腕を伸ばしてくる。
 オレはそれを軽くかわす…つもりだったけど、

「うぇぇぇぇぇっ…」

 急に立ち上がったせいか、一気に酔いがまわったようだ。気持ちが悪い。胃の中から何かが戻ってきた。
 …吐きそうだ。

「なんだよ、兄ちゃん。威勢がいいのは口だけか?」
「いいから金だせよ」
 うう…。胸倉掴んで揺らさないで欲しい。
 このまま揺らすと、マジであんたの手のひらに吐くぞ。
 っていうか、本当にやばいから! 頼むから揺らさないでくれ!

 何か言うと言葉と一緒に別のものも吐き出しそうな気がして、オレは口を閉じた。多分オレの顔色は真っ青になっていると思う。
 反応しないオレに腹を立てたのか、そばかす男はオレを乱暴に突き飛ばす。オレは、力なく地面に尻餅をついた。
 地面に座り込んだオレの様子をちんぴら達が指差して笑う。彼らはオレが囲まれた恐怖で怯えているのだと勘違いしているようだ。
 普段なら腹を立てるところだけど、オレは今、それどころじゃない。はっきり言って緊急事態だ。
 突き飛ばされた衝撃で胃の中がかき回されて、オレは先程よりも更に気持ち悪くなってきていた。
 本当に、本当に…吐きそうだ。

「なあに。おとなしく財布さえ渡せば…ぐほぉっ!」
 笑いながら何かを言いかけたそばかす男が急にもんどりうって倒れた。慌てて振り返った別のちんぴらの腹に黒い棒が突き刺さる。
 急にぱたぱたと倒れていくちんぴら達をオレは尻を地面につけて座り込んだ格好のまま呆然と見た。そして理解する。

 彼らに刺さるのは。黒い棒じゃない。
 黒いブーツを履いた誰かの足だ。

 僅かに意識が残っているらしい。倒れているそばかす男が苦しそうに呻いた。気がつけばそばかす男を含め、四人のちんぴら達が全員、地面に転がっている。

「大丈夫?」
 尻餅をついたまま、いまいち状況を理解できてないオレは、掛けられた声につられて顔を上げた。
 目の前に一人の少女が立っている。
 月光を背にした彼女は黒いフードを被っていた。ひとふり頭を揺するとフードははらりと背中に落ちる。そして少女の顔が露になった。

 オレはぽかんと口を開いたまま彼女を見上げた。
 輝く銀髪は、降り注ぐ月の光をそのまま糸にしたようだ。長い睫毛に飾られた瞳は大きく、色は見つめられただけで息が止まるほどに鮮やかな緑。形のいい鼻の下にある、ふっくらした唇が魅力的だ。
 黒い服の上からでもわかる女性らしいのにしなやかな体つきは、さすがちんぴら達を簡単に気絶させただけあって程よく筋肉がついていた。けれどその筋肉のつき方もまた綺麗だ。
 頬も腕も露出した足も。肌の全てが真珠の粉をまぶしたように淡く輝いていて、それが月光のせいだとわかってはいても一瞬オレは女神が降りてきたのかと思った。
 とにかくオレの拙い表現力では言い表せないほど美しい少女がオレの目の前に立っていた。

「どこか、怪我でもしたの?」
 つい彼女に見とれていたオレは、話しかけられてようやく我にかえる。
 慌てて立ち上がったところで、忘れていた気持ち悪さを思い出した。

「…吐く」
「へ?」

 慌てて路地裏の目立たないところに駆け込んでオレは吐いた。銀髪の美少女は少しの間、無言で情けなく吐くオレを見ていたけど、すぐにその気配が消えた。立ち去ってしまったようだ。
 追いかけたい…。
 だけど、追いかけられるわけがない…。

 一通り吐いた後に元の場所に戻ってみると誰もいなくなっていた。
 オレが吐いている間にちんぴら達は逃げていったようだ。彼女の蹴りに怯んだのか、それとも吐き続けるオレからカツアゲするのが嫌だったのか。どちらにしてもなんだか切ない。

「可愛かったのになぁ…」
 オレはぶつぶつと呟いた。
 銀髪の美少女は、女神もかくやという美少女だった。世界は広いというけれど、あんなに綺麗な女の子と出会える機会が、この先あるかどうかもわからないと思う。

 美少女はちんぴらを倒して颯爽と立ち去り、残ったのは吐いたばかりですっぱい臭いのする自分だけだ。もし運良く銀髪の美少女ともう一度会えたとしても、ちんぴらにからまれてるところを助けてもらったのに、礼も言わずに吐いた男であるオレは恥ずかしくて彼女の前に出て行けない。

「もう帰ろうかな…」
 絶世の美少女との最悪な出会いに、すっかりやる気がなくなったオレは、今日はもう宿に帰って寝てしまおうと思った。悲しいことは寝て忘れてしまった方がいい。
 ため息をつきながら、重い足取りで大通りに出たところで後ろから肩を叩かれる。
 振り向いた先にいたのは、いなくなったはずの銀髪美少女だ。彼女はにっこりと微笑んた。

「え、え、ええ?」
「大分ましになったみたいね。はい、水」
「ふぇっ?!」

 予想外の出来事に思わず変な声が出た。
 もしかしてショックかアルコールのせいで、オレは幻覚を見ているのだろうか。
 混乱しつつも美少女から受け取ったコップはきちんと重みがあった。オレは彼女に差し出されたコップの水を一口飲む。
 吐いた後の気持ち悪さが幾分か緩和された気がした。

「そのコップ。あの向こうにある青い看板をだしている酒場のものだから、自分で返しておいてね」
「はい。…って、待ってください!」

 オレにコップを渡した後、すぐに立ち去ろうとした美少女をオレは慌てて呼び止めた。
 理由は自分でもよくわからない。とにかく奇跡的にもう一度会えた彼女と一秒でも長く話したかった。

「あの…助けていただいてありがとうございます。それから水も」
「いいわよ。それくらい」
「ちょ…ちょっと待って!」
 手を振って、立ち去ろうとする彼女をオレはなおも呼び止める。

「なによ?」
「あのう…、その、助けていただいたお礼がしたいのですけど」
「別にいいわよ。たいしたことしてないし」
「いえ、是非ともお礼させてください!」
 といったものの、お礼に渡せるようなものをオレは持ってない。
 現金なら多少はあるけど、お金で渡すというのはなんか嫌だ。

「んー…? あなたって旅人よね。どこから来たの?」
「アリアハンです」
「アリアハン?」
 彼女は驚いた目でオレを見た。

「あの国って鎖国してるって聞いたけど…そうね」
 一つ頷いて彼女はオレを見た。
「あたしはアリアハンから来た人に会うのは初めてなの。どうしてもお礼がしたいっていうなら、何か飲みながらアリアハンの話をしてくれない? もちろんあなたのおごりでね」
「はい! もちろん!」
 願ってもない。
 銀髪の美少女に連れられて、彼女が水をもらったという青い看板の酒場に入った。
 覆い付きランプの光で照らされた薄暗い店内に入るオレの足は、酔いのせいじゃなく浮かれてふらついていた。










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