青い看板を出した酒場は、オレが今まで入ったことの無い洒落た雰囲気の店だった。店の中は全体的に薄暗く、客はまばらにいるようだけど暗くてどんな人がいるのかは良くわからない。
 慣れた様子で店に入っていく美少女にとっては馴染みの店なのだろう。カウンターの店主にコップを返した彼女は、そのまま店の奥に向かう。店の一番奥にあるテーブル席に呼ばれて、オレは彼女の向かい側に座った。

「あたしの名前はルチカ。あなたは?」
「カイリといいます!」

 緊張したオレは、つい勢い込んで名前を名乗ってしまった。おかしかったのか、彼女がくすりと笑う。
 ルチカと名乗った彼女は、椅子に座る時に羽織っていた薄手の外套を脱いだ。外套に隠されていた肌があらわになって、オレは思わず息をのんでしまう。
 彼女は肩を大胆に露出した服を着ている。外套を脱ぐと服の上からでも彼女の胸がかなりボリュームのあることがわかった。大きく開いた襟からその谷間が少し見える。オレは慌てて視線をそらせた。

 ルチカがワイン、オレが果実水を注文して、すぐに飲み物が運ばれてきた。給仕がそれぞれの飲み物を置き、つまみのチーズとクラッカーを置いて去っていった後に、ルチカがワイングラスを持ち上げてオレににっこりと微笑みかけてくる。
 震える指で自分のグラスを掲げて、彼女のワイングラスと打ち合わせる。ガラスとガラスがぶつかった時の高い音が小さく鳴った。
「乾杯」
 囁いてルチカはワイングラスに口をつけた。
 オレは自分の果実水を持ったまま、彼女を見つめてしまっている。オレの顔は酒場に入った時から既に紅潮してしまっているが、彼女の仕草を見つめていると更にオレの頬は熱くなり湯気が出そうなほどにゆだってしまっているのがわかる。
 なんというか、ルチカは仕草がものすごく色っぽい。
 その指先の動き一つ一つにオレは激しく動揺する。

「たしかアリアハンって、半鎖国状態なのよね」
 ルチカにそう聞かれてオレはようやく我に返った。
 視線を少しだけ彼女から離して、口を開く。ルチカの美貌で麻痺しかけた頭をオレは無理やり持っている知識のほうに向けた。
「…あ、うん。でも年に何回かは船も出てるよ」

 ポルトガくらいしか行かない船だけれど、年に数回の定期船はまだ運行している。
 周囲を海に囲まれたアリアハンの人間は、海に凶悪な魔物が大量発生している今、ほとんど海外に出る手段が無い。オレの使った誘いの洞窟は、旅の扉に至るまで長々と洞窟内を歩かなければならない上に、洞窟の中は道幅が狭く魔物も出る。だから旅人や商人の移動には向かない。
 結果、アリアハン王国はほぼ必然的に半鎖国状態になった。これはアリアハン同様周囲を海に囲まれたエジンベアやジパングも同じことだ。

「ふぅん…」
 ルチカはオレを見た。猫を彷彿とさせる大きな瞳が、オレをじっと見る。鮮やかな緑色の瞳に見つめられて、オレは自分が再び赤面していくのがわかった。
「じゃああなたも船で来たの?」
「ええと…まあ、そんなものかな」

 オレは曖昧に頷いた。
 本当は船ではなく誘いの洞窟を通ってきたのだけれど、そのことを話せばオレが勇者として使命を受けたことも話さなければならなくなる。
 ルチカに自分が勇者であることを話すのは気が進まない。
 
 普通の出会いならともかく、オレと彼女の関係は、ちんぴらにカツアゲされていた男とそれを助けてくれた格好いい美少女。あるいは酔っ払って吐く男と、それを介抱してくれた優しい美少女だ。
 どちらのパターンでも、オレの立場は非常に格好悪い。
 この立場で勇者だなんて名乗っても笑われてしまうだろう。
 ルチカに笑われてしまったら、オレはショックでまともに立ち上がれない気がする。

「ルチカさんは、ロマリアの人?」
「ルチカでいいわ。…まあそうね。今はロマリアに住んでるわねぇ」
 引っかかる言い方だけど、細かいことを聞かれると困るのはオレの方だ。
 オレは再び曖昧に頷く。

「アリアハンって、どんなところなの? 気候が温暖で住みやすいって聞いたけど」
 幸い、ルートに関する言及は無いようだ。
「他の国に比べて、一年通しての温度差はかなり少ないらしいよ。夏はものすごく暑いっていうのは滅多に無いし、冬に雪が降るほど寒くなることは無いし」
 気候や街の様子に関することなら遠慮なく話せる。
 アリアハンで生まれ育ったオレは、他国より過ごしやすいと聞いてもいまいちよくわからないけど、各地の気候についての書籍や、アリアハンにやって来た他国出身の冒険者の口ぶりから、知識としては知っている。

 それからオレとルチカは、しばらく他愛ない話をした。
 アリアハンに興味があるのか、ルチカは色々なことを聞いてきた。
 オレは、オレの話をルチカが聞いてくれているというのが嬉しくて、つい色々話してしまうから、話がくどくならないように気をつけて話す。
 祭りの話、食べ物や服の話。街の様子。お返しのようにルチカもロマリアの話をしてくれた。
 ロマリアに来たばかりだと話すと、旅人向けの日用品が安く売られている店も教えてくれた。アリアハン王から旅の資金は貰っているけど、贅沢できる旅じゃないから、この情報はかなり有難い。

「ところで、アリアハンといえば…」
 会話の途中でルチカが聞いてくる。

「勇者オルテガがアリアハンの出身よね。カイリは、勇者様を見たことがある?」

 不意打ちのような問いに、オレは一瞬硬直した。
 そうだ。親父は有名人らしいから、ロマリアに住むルチカが知っていてもはおかしくない。ルチカにとって勇者オルテガの話題は、季節や食べ物のことを聞くのと同じようなことなのだろう。
 そうだと頭ではわかっているけれど少し緊張する。一応、オレにとっては血の繋がった父親の話題だ。

「勇者オルテガを見たことがあるかって?」
 動揺を押し隠してオレはさりげなく聞き返す。聞き返しながら、一瞬跳ね上がった心臓の動悸を落ち着けた。
 ルチカにオルテガの息子だとばれたら、オレが勇者として旅立たされたこともばれてしまう。それはまずい。オレはルチカに笑われたくない。

「見たことはあるよ。だけど彼がアリアハンにいたのはオレが小さい時だったから、正直あまりよく覚えてないんだ」
 考えながら言った言葉。だけど嘘はついてない。

 魔王バラモスが現れたのはオレが生まれたすぐ後だ。そしてその頃から徐々に魔物が凶暴化し始めた。勇者である親父は各国の王に依頼されてその調査にかかりきりになり、彼はろくに家には帰ってこなかったのだ。
 ただ、時々帰ってきた親父は皆に好かれてて、人一倍大きな体格が格好良かったし、抱き上げてくれるのは暖かくて心地よかった。

 何の実績も無いオレが勇者として旅立つ羽目になったのは、あの放蕩親父の息子だからだろう。
 だけど、それでもオレは親父のことが好きだ。

「格好良かったと思うけどね」
 息子のオレが言うのもなんだけど。

「ロマリアにも有名人がいるよね。カンダタだっけ?」
 勇者という単語で、オレは自分が何の為に夜の街に出て来たのかを思い出した。
 思いついてルチカに聞いてみる。一般人では無さそうなルチカなら、店の人々とは違う何かを知ってるかもしれない。
「カンダタは盗賊よ。オルテガ様とは全然違うと思うけど…。そうね、有名人ではあるわね」

 言いながらルチカは、指で彼女の耳についた耳飾りをさわった。金色の耳飾りは短い銀髪の彼女に良く似合っている。そして、その下に見える細い首も色っぽい。ついつい、オレは彼女の耳と首に見とれかける。

 ルチカの答えは簡単だ。
「シャンパーニの塔を根城にしているのよ」
「うん」
 残念ながら、それは知っている情報だ。
 ロマール城下町の北西にあるシャンパーニの塔にカンダタ一味がいることは、ロマリアの騎士も知っていた。

「どんな盗賊なんだ?」
 なるべくさりげなく聞いてみる。
「カンダタに興味があるの?」
「あ、うん。アリアハンにもバコタっていう盗賊が塔を根城にしてたからさ。似てるなぁと思って」
 街で噂を聞く限り、カンダタ率いる盗賊段はバコタのそれより規模は大きいらしい。
 アリアハンのバコタは、フェン一人に簀巻きにされたけど、カンダタがオレ達に太刀打ちできる相手なのかどうかはまだよくわからない。

「ふぅん?」
 意味ありげに微笑むと、ルチカはオレをじっと見た。真正面から向けられた鮮やかな笑みに胸が高鳴る。
 視線を合わせていると暑くも無いのにのぼせてしまいそうな気がして、オレは彼女の目から視線を落とす。
 落とした視線は彼女の胸の谷間にうっかり辿り着いた。
 慌てて手元の果実水まで視線を下げる。

「案内してあげようか?」
「へ?」
 オレは彼女に聞き返してばかりだ。
 顔を上げると、綺麗に微笑むルチカと目が合う。
 
「シャンパー二の塔に行きたいんでしょ、勇者カイリ・マディリアス様?」
 やはり笑顔で彼女は言った。
 あまりに驚いたせいで、目を見開いた状態でオレは固まった。





「…ということがあったんだ」
「うわあ」

 フェンはものすごく可哀相なものを見る目でオレを見た。マリーは道に落ちている汚物を眺めるような目でオレを見ている。
 ルチカと話している間、かなり彼女の胸が気になっていたことは黙ってたのに、仲間達の反応は散々なものだった。胸のことは話さなくて良かったとオレは思った。

 昨晩、結局日付が変わる直前までルチカとオレは酒場にいた。そんなに高い店じゃなかったようで、財布への打撃は少なかったけど、帰るのが遅かったので今日は眠い。
 フェンに起こされたオレは宿の隣にある食堂で朝食を食べながら、ルチカの話を二人にした。その結果は冷たいリアクションだ。

「あからさまに怪しいだろ、その女」
 ため息をつきながらフェンは言った。やはりついていけば良かったと彼はぼやく。
 彼はぼやきながら、朝食についてきた豆のスープを口に運んだ。

「やっぱり?」
「思うのですが、その女性はカンダタの仲間ではありませんか?」
「オレもそう思う…」
 同意したら二人そろって右に傾き、右に倒れかけたところをテーブルに手をつき、なんとか転倒するのは免れた。
 免れた後、なぜかフェンが頭を抱える。

 ルチカのことは、彼らに指摘されるまでもなく、オレも彼女はカンダタの知り合いだろうと思っていた。彼女は何も言わなかったけれど、ルチカの話は具体的で真実味があったからだ。
 頭を抱えるフェンとは違い、マリーは何も言わず焼きたてパンを千切りはじめた。怒っているようにも見えるけど、普段から彼女は無表情なので実際のところはよくわからない。

「んで、お前はそんな怪しい女がカンダタの情報をくれるっつうのを信じて、今日もそいつに会いに行きたいと言うわけだ」
「ルチカは敵じゃないよ、多分」
 オレは言う。

「彼女がもしオレを罠に嵌めようとしているなら、カンダタの仲間であることは言わない方がいいじゃないか。それにもし騙すつもりなら、オレが勇者であることに気が付いたのをわざわざ口に出すことも意味が無い」

 言いながらオレは昨日のルチカの様子を思い出した。
 綺麗で可愛くて、見知らぬオレを介抱するほど優しくて、そして明るく話していたけれど、どこか陰のあった彼女。
 あんな美少女が悪人のはずは無い。
 
「罠じゃないと思うんだよね…」
「お前な…」
 ただでさえ面倒なことに更に面倒を増やすな、とフェンは言った。彼は頭痛でも感じたように片手で額を押さえている。
 マリーはフェンのようにぼやかず、無表情に食事を続けている。彼女はオレに反対する気はないようだ。…ただしオレに時折向けられる視線は、氷のように冷たい。

「今日中はお前と会った酒場にいるって?」
 フェンもマリーも気が付いている。
 もしルチカがオレ達を罠にはめようと思うなら、一か所で待つだなんて危ない橋は渡らないはずだ。彼女がカンダタの仲間だとオレが気づいていることに、ルチカが気づいていない筈が無い。
 オレがロマリア城の兵士に通報すれば、オレを待つ彼女の身が危うくなるのだ。彼女はオレを信用して一箇所で待つと言ってくれている。
 なんだかんだと言ってフェンもマリーも人が良い。オレの泣きおとしが功を奏したこともあり、とりあえず会ってみるだけ会ってみようということになった。










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