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「誰かいる?」 茂みの中を凝視したけど、誰もいるように見えない。諦めてルチカとマリーの方に目をやったら、彼女達も不思議そうな顔をしていた。 オレ達に見えず、フェンに見えるってことは…。 「幽霊?」 「だろうなあ」 フェンが嫌そうに答える。 どうも彼はそういうものが見える自分を余り好いていないらしい。 「どんな人がいるの?」 「緑の髪の女。うつむいているから顔はよくわかんねぇな。茂みの中をゆっくり…」 フェンは指でオレの背後を差した。 「あっちに向かってる」 何も見えない茂みの方をなんとなく凝視しながら、オレは昔読んだ本の記述を思い出す。 「エルフ族。人間と非常に似た外見の妖精。人間とは異なり、人間は決して持つことの無い緑色の髪を持つ。瞳の色は青か緑、茶が多い。太りにくい体質なのか記録に残るどの存在も小柄で痩せ型。妖精ではあるが、人間とエルフの間で子を成すことも可能。全てのエルフ族は生まれながらに強い理力を持つ…だったかな」 「聞くの二回目だけど」 オレの再確認の独り言を聞きとめたルチカが言う。 「カイリって物知りよね〜。どこでそんなこと覚えたの?」 「王宮の図書館で読んだ知識だよ」 褒められたのは嬉しいからオレは笑った。けど、多分少し苦笑じみた微笑になったかもしれない。 オレにそこそこの知識があるのは、オレが知識を得られる環境にあったからだと自分でわかっているからだ。 「親父が火口に落ちてすぐ次の勇者認定されたからさぁ。子供の頃から修行に必要だという名目で、王宮の中は出入り自由だったんだ」 ほとんどその場の勢いで認定されたようなものだけど、一応は未来の勇者だ。 だから一般開放されていない王宮図書館の本も好きなだけ読めた。 十歳から六年間、図書館に毎週通っていれば、誰だってそれなりに知識はつく。特にオレの場合は成人すれば旅に出なきゃならないという危機感もあったし。 「それにしてもね〜」 ルチカはまだ納得してないようだった。フェンがルチカに同意するように頷き、マリーはアリアハンの時のような鋭い視線をまたオレに向けていた。 「で、フェンが見たその幽霊どうしよう?」 三人がかりで見つめてくるのが気まずくて、オレは話題を戻した。 「追いかけてみる?」 「そうねぇ…」 今のところヒントはほとんどない。幽霊でも一応エルフだ。彼女追いかければ何か見つけられるかもしれない。 オレ達は見えるフェンについて歩き始めた。 「洞窟ね…」 亡霊を追っていった先には不気味な洞窟が口を空けていた。フェンが言うには、エルフの幽霊はこの洞窟の前で消えたという。 「いかにも怪しいわねぇ〜」 入り口から中を覗き込みながらルチカが言った。確かに幽霊の消え方は、ここに入れといわんばかりでとても胡散臭い。 「遺跡かしらねぇ…人工の洞窟っぽいし」 明かりで入り口を照らしながらルチカが判断する。 切り立った急斜面に横穴が開いている。洞窟入り口の横幅は四人くらいの人間が横に並んで歩けるくらいに広い。高さも背の高いフェンが全くつっかえない程はある。 雰囲気がアリアハンにいたときに何度か修行場所に使っていた岬の洞窟に似ているなと思った。ロマールに来る時に通ったいざないの洞窟ほどしっかりした作りの洞窟ではないようだけれど、穴の開き方は半円型で奥行きがある。 相談した結果、他にヒントも無いこともあり、この洞窟に入ってみることに決めた。 森の中をエルフを探して彷徨うよりは何かありそうだ。 ルチカが魔法の灯りを作り、まだ実戦許可が出ていないマリーがランタンを受け取った。本人、戦えないことが不満なのか仏頂面だけど、平原よりも危険度が高い洞窟探検で前に出ることの危険性はここしばらくの戦闘訓練でわかっているのだろう。特に不満は言わなかった。 一方、ルチカは慣れた仕草で洞窟の入り口を調べ、罠が無いことを確認するとオレ達を手招きした。一度にっこり微笑んで、親指と人指し指で輪を作った「問題なし」のサインを示す。もちろんとても可愛い。 ルチカに続いてオレも洞窟に入ってみる。湿っぽく空気が外よりも少しだけ冷たい気もした。奥の暗闇に目を凝らしてみるとかなり深い洞窟であることが窺える。 幽霊が消えたこともあるし、本当に何かがありそうだ。 ルチカが言うには、人間の足跡は全く無いということだ。だが、きっと魔物は住み着いているだろう。 「空気が澱んでいますね…」 オレの後ろでマリーが呟いた。 そういえば、付近の平原ではバリイドドッグという犬のゾンビの形をした魔物をよく見かけた。この洞窟の中にも結構いるのかもしれない。 一番最後に洞窟に入ったフェンの様子を窺うと、彼は一瞬だけ片眉を上げたけれど何も言わなかった。霊感のあるフェンと僧侶であるマリーの感覚では、幽霊やゾンビがいる雰囲気の感じ方が違うのだろうか。好奇心にかられたけど、霊感を厭うフェンにもちろん聞けるわけも無い。 オレは疑問を切捨て、再びルチカの横に並ぶ。前方の、光の届かない洞窟の奥は暗い闇と澱んだ空気が待ち構えている。オレはごくりと唾を飲み込んだ。 ルチカについてオレ達は洞窟の奥に歩き出した。 しばらく進むと水がたまっている場所があった。この辺りに水脈でもあるのかもしれない。 だとしたら洞窟の空気が湿っぽいのは地下水脈のせいだろう、とオレが楽観しだしたところで、バリイドドッグが二体前方から襲い掛かってきた。やはり洞窟の中には奴等のような者達が住み着いているらしい。 一体はフェンが鉄の爪で切り裂き、もう一体はルチカとオレが力をあわせて片付けた。 狭い洞窟内ということでダガーに持ち替えていたルチカが腕についた嫌な臭いのするバリイドドッグの体液に顔をしかめる。彼女が一番得意な鞭は洞窟で振り回すには向いてないから仕方ないとはいえ、綺麗なルチカにゾンビの汚い汁がつくのは嫌な気分だ。 途中で下に下りる階段を見つけたので降りてみたら、魔物が襲ってくる回数は更に増えた。バリイドドッグ以外にも、平原では見かけない厄介な魔物が沢山出てきてうんざりする。 特に困るのがマタンゴというキノコ型の魔物だ。シャンパーニの塔で同系のお化けきのこと戦ったことがあったから戦い方はある程度わかるけど、お化けきのこと同じ「甘い息」が鬱陶しい。 オレは何度かうっかり眠ってはマリーに叩き起こされた。 バンパイアも嫌な敵だ。ヒャドを唱えてくるのが厄介で、マタンゴと一緒に襲い掛かってきたときは「甘い息」でうっかり眠ってしまったところをヒャドで起こされるというきつい目覚め方をした。 マリーがすぐにホイミをかけてくれなかったら、次の一撃で死んでたかもしれない。 「甘い息」で寝がちなのはオレだけじゃなくてルチカやマリーも同じで、一回だけうっかりフェンが寝た。 途中階段があったので降りてみると、再び水のある場所を見つけた。水のある範囲がかなり大きい。泉と言えるほどの大きさはある。そして先程の水溜りと違って水が澄んでいる気がした。 「何か光ってない?」 「光ってるね。近寄ってみようか」 泉の中央辺りに島のような場所があり、その中央で何かがキラキラと光っている。回り込めば島の上に行けそうだったので、オレ達はぐるっと回り込んでその光る場所に近づいてみた。 島の中央には井戸のようなものがあった。 オレの腰くらいまでの高さの円筒型の台で、直径はオレの片腕の長さくらい。石で出来ていて、造りの雰囲気が旅の扉と似ていた。 中を覗くと縁ぎりぎりまで水が溜まっていて、底は建物一階分くらいの深さのようだった。その底に魔方陣のようなものが描かれていて、それが光を発しているようだ。 「女神様なのかしら?」 声にオレは反射的に振り向いた。 外から見ただけだと気がつかないけれど、台の四方に一抱えある石柱が立っていて、その柱の全てに女性の上半身が彫刻されていた。女性の彫刻は全て光の方をみているので、見上げている彫刻とルチカが向き合っているようにも見える。 芸術の価値はわからないけれど、彫刻はそれなりに出来がいい。四本の柱全てに同じ女性が彫られているので、この洞窟は彫刻の女性と関連する遺跡なのかもしれない。この遺跡を示す聖印は見当たらなかった。水底の光る魔方陣がそうなのかもしれないけれど、小さい上に光っているのでどういう模様なのかはいまいち判断できない。 オレはぐるりと周りを見渡してみた。 四本の柱、井戸に似た台、神を祀っている遺跡で、旅の扉とおそらく同年代の遺物。となれば、 「これ、もしかして「回復の泉」かな?」 「なにそれ。もしかして、この水さわったら体力が回復するの?」 ルチカがオレと同じような仕草で水の中を覗き込んだ。揺れる水面に、オレとルチカの顔が映る。 「うん。そうだよ」 「え、本当なの?!」 ぎょっとしたように、ルチカが直接オレを見た。 文献に載ってた回復の泉ならその通り効果があるはずだ。 オレ達の会話に気づいたフェンとマリーも台に近づいてきた。 「聖印によって祝福された泉なら…そうですね」 神の奇跡について詳しいマリーには覚えがあるようだ。いつものように無表情かつ鋭い瞳で彼女も水底をじっと見た。目を細めているので睨んでいるようにも見える。 「水底の聖印はどの神のものかわかりますか?」 「いや、ちょっとわからない。マリーは?」 「私にもわかりません」 よく見てみたけど水面が揺れていることもあってやはりわからない。オレとマリーは諦めて辺りを見回してみたけど、ヒントになりそうなものはなかった。彫刻から女神じゃないかと見当がついただけだ。 「どういうものなんだ?」 首をひねりながらフェンが聞く。水底を睨むのを止めたマリーが律儀に振り返った。 「神の御力により祝福された聖なる泉です。聖書によると、水に触れると神の奇跡により体力や魔力が回復するそうです。実在するとは知りませんでしたが…」 マリーにオレは同意する。 「オレも伝説みたいなものだと思ってた。ちょっとさわってみる?」 「そうですね…、試してみましょうか」 戦いには直接参加して無いけど、ホイミやニフラムを何度も使っているので魔力をかなり減らしているマリーが、短く祈ってから水面に指をつけた。彼女の指をつけた水面がほんのりと光る。やはりただの水ではないらしい。 なんとなく緊張して見守っていると、しばらくしてからマリーが指を離した。彼女は泉につけていた自分の指を見る。 「どう?」 「これは…、驚きました」 わりと平坦な声でマリーは呟き、顔をあげた。確かに驚いているようには見える。 「本当に魔力が回復した気がします」 「マジ?」 「オレも、さわってみよ」 軽く祈ってからオレも泉の水に指をつけてみた。マリーの時と同じように水面が淡く光る。しばらくつけていくと、身体の中をゆっくりと暖かい何かが通っていくような感覚がした。 泉から指を離し、先程怪我をした腕を見てみる。見事に傷が塞がっていた。少し減っていた魔力も回復したみたいだ。 「怪我、治ってるよ」 「すげー…」 オレ達は驚いて回復の泉を見た。 なんというか、ミラクルな泉だ。これこそ神の奇跡というにふさわしい。 「ねえ、この水って汲んでいっても同じ効果があるのかしら?」 「無理じゃないかなあ」 重要なのは水じゃなくて、どちらかというと水底の聖印だ。あの聖印が水を奇跡の聖水に変えているのだろう。 「あら、残念」 薄々わかっていたのか言葉ほど残念そうも無く、ルチカは肩をすくめた。 「この水、汲んでいったら罰当たりだと思う?」 「それくらいならいいんじゃない? でも多分、ただの水だよ」 「わかってるけどさぁ」 ルチカが水を入れる皮袋を準備しながら返事をする。 「しばらくは水にも聖なる力が多少は移っていると思うのよね。この洞窟って空気が澱んでるから、何かの役に立つかもしれない」 回復の泉で休憩してから、オレ達は洞窟の奥に更に進んだ。 泉のおかげで体力は完全に回復している。魔物の個数も凶暴さも洞窟の奥に進むにつれて上がったけれど、回復したのと慣れてきたのとで今度は余裕をもって進める。 それから探検しながら二回程階段を下りると、今度はかなり広い場所に出た。 城の広間くらいはある。天井も高い。だがその大部分が水で満たされていて、オレ達の歩ける場所は限られている。地底湖の中央に島があり、先程の回復の泉のあった場所をそのまま大規模にしたような雰囲気だ。 オレ達が降りてきた場所は壁際の出っ張った場所だけど、島へ細い橋がかかっているから今度はまわりこんでいかなくても島の上に乗れそうだ。 湖に近寄ってみると、真っ暗な湖面をルチカが作った魔法の灯りとランタンの炎が頼りなく照らしていた。 「ねえ、あれってさっきの柱じゃない?」 夜目がきくルチカが島の上を指差した。 橋の向こうの島の上に、彼女の言うとおりぼんやりと何かが立っているのがわかる。雰囲気からすると先程見た女神の彫られた柱に雰囲気が似ている。 ここでじっとしているのも意味が無いので、オレ達は橋を越えて島に向かった。神の祭壇があるおかげか、この辺りは魔物がいないから楽だ。 「やっぱり同じか」 そしてルチカの言った通り、島の上は先程の回復の泉のあった小島とよく似ていた。 とはいえ先程の場所よりかなり広くて、広くなった分だけ柱の数も増えて八本もある。その全てに同じ女神の彫刻があった。 回復の泉はないけれど、柱には女神の彫刻だけじゃなくて聖印と祈りの句が彫られていた。この場所が城の中庭ぐらい広いことを考えると、ここは元は何かの儀式に使う場所だったのかもしれない。 「ルビス神を祀っているのか。珍しいな」 祈りの句を見て、オレは思わず呟いた。 羽を広げた鳥の姿のような図案は、精霊神ルビスを示す紋章だ。 世界のほとんどの国が神々のリーダー格である光神を中心に祀るけれど、精霊神というかなりマイナーな小神を祀っているなんて珍しい。アリアハンの教会関連記録にもほとんど記載がないような弱小神なのに。 「精霊神様?」 呟きを聞いたマリーが、早足でオレの隣にやってきた。 彼女はじっと聖印を見る。 精霊神と言い当てたってことは、マリーもこのマイナー神を知っているのかと、オレは失礼かもしれないけど感心した。 伊達に筆頭宮廷司祭の娘はやってない。神学関係なら、オレよりきっと詳しいだろう。僧侶の神学論は議論の余地が無さ過ぎて避けてたけど、意外と思想的に柔軟な僧侶である彼女なら、今後の冒険の為にも語り合ってみるのも楽しいかもしれない。 「ルビスとは精霊ラーミアの別名ですね。しかしこの紋章はラーミアの紋章とは違うように見えますが…」 紋章をじっと見ながら、鋭い意見をマリーは言った。 ルビス神と聞いてルビス神以上にマイナーな精霊ラーミアの名を出す僧侶はまずいない。神学にそこそこ詳しい元宮廷魔術師のダルファ師匠でも知らないというのに。 思わぬ理解者の出現に、オレは思わずわくわくしてきた。 「いや、ルビス神の分身がラーミアだという記述もあるんだ」 出展は百年程前の古い賢者の書いた書物だけど。 「聖本記の書き方ではルビス神と精霊ラーミアはイコールのように描かれているけれど、ランシールから期間限定で貸し出された賢者の手記にそういう記述があるんだ」 「ああ。あの貴重品を借りられたのですか…分身とはどういう意味ですか?」 「ダーマから寄贈された文献によると、何かを助ける為にルビス神は自分の身を千切り、ラーミアを作り出したとか、その何かっていうのがわからないけど、その筆者は…」 「神学の勉強は後にしてくれない?」 「へ?」 思わず語りだしてしまったオレを止めたのは、ルチカのややとがった声だ。 びっくりして彼女を見ると彼女は呆れているようだった。気のせいかもしれないけど、少し怒っているような気もする。 ルチカだけじゃなくてフェンも、話の長さに飽きたのか、そっぽをむいてしまっていて、オレは慌てた。 「あ、ごめん」 確かに別に今、語る必要のないことだ。 謝ってから、オレは辺りを見てみた。 女神の彫刻はルビス神をかたどっているのだろう。聖印はルビス神の紋章だ。神ではなく、神の眷属である精霊ラーミアの紋章はルビス神の紋章とよく似ているけれど、ルビス神の紋章よりかなり線が少ない。先程の回復の泉で光っていたのはルビス神の紋章だ。 祈りの句には、相手がマイナーな神である以外は特に変わっているところはなかった。 そして柱以外には何も無い。 ルチカとマリーとオレは顔を見合わせた。 珍しいものは見れたけど、洞窟の最深部らしいこの島に来ても何も無い。フェンに至っては飽きたのかきょろきょろするのすらやめていた。無言のまま、彼は湖面を眺めている。 「何も無いわね」 「そだね」 この最深部に来る途中で幾つかの宝箱を見つけたけど、たいしたものは入ってなかった。 エルフに関するものは何も出てこなかったし、エルフが信仰しているのがルビス神だという話も聞いたことがないからこの遺跡も無関係だろう。 「ねえ。何か見えない?」 ルチカがフェンの背中に声をかけた。 霊感のある彼なら何か見えるかもしれないと期待しての質問だったけれど。 「フェン?」 再び呼びかけてもフェンは振り向かない。 それどころか湖の一点を見つめたまま、全く動かない。 もしかして…聞こえてない? 「フェンイン!」 マリーが早足でフェンに駆け寄り、彼の腕を掴んだ。 さすがにこれは気づくだろうと思ったのに、返事するどころか彼は横を見もしない。 完全に無反応だ。 オレの背中あたりをうすら寒いものが吹き抜ける。 マリーがフェンの腕を揺らし、それから彼の肩を軽く叩いた。 オレとルチカも慌てて彼らに駆け寄る。 正面に回りこむと、嫌な予感が当たってフェンは虚ろな瞳で湖面を眺めていた。もちろん眼前で手を振ろうが、腕をひっぱろうが全く反応が無い。 「カイリ、こういう時ってどうすればいいのよ!」 ルチカに聞かれたけど、全然わからない。 そもそもフェンに何が起こっているかもオレにはわからない。 戸惑っていると、今まで立ち止まっていたフェンが急に歩きだした。でも正気に戻ったようには見えない。腕を掴んだマリーには頓着せず、彼は一直線に湖の方に向かう。 「落ちる気ですか?!」 マリーが叫んだ。 水の中に入ろうとするフェンを彼女は全身で押しとどめた。小柄な彼女が抱き付くように、フェンが湖に入るのを止めようとしている。 島の周りは崖ではなくて緩やかな斜面になっているけど、途中で急に深くなっているところがある。そこまで踏み込めば、今のフェンじゃ危ない。 オレとルチカの気が動転してしまっている間に、フェンはマリーごと湖の中に踏み込んだ。すぐに膝のところまで水に浸かってしまう。 とにかくこのまま放ってはおけない。 慌ててオレ達は彼らに駆け寄ろうとしたけれど。 「危ない!」 肩に衝撃を感じた。と思ったら、もう地面に転がっていた。横向けに地面に倒れているオレは、つい閉じていた目を開く。 ありえないほどの違和感だ。目の前に大きな影がある。 「うぇえええ?」 つい、変な声が口から出た。 それは急に現れた。 湖から出てきたのだろうか。島の上の遺跡に気を取られて、全く気がつかなかった。 オレのすぐ側、巨大な赤い化け物が立っていて、いつのまにかオレを見下ろしていた。 このままでは踏まれるので、オレは慌てて化け物と距離をとる。 オレのすぐ隣ではオレより早く起き上がったルチカがオレの様子を見つつ、化け物を油断無く見上げていた。 彼女の立っている場所から考えて、オレを今突き飛ばしたのは彼女のようだ。 赤い化け物はやや縦に長い岩のような胴体に、長い腕のついた意味不明な形をしていて全く知らない種類の魔物だった。こんなところにいるからか、体が湿ってぬれている。長く伸ばした腕を不満そうに揺らしているから、きっとあの腕で攻撃してくるのだろう。というか、つい先程攻撃されたのをルチカがオレを突き飛ばすことで助けてくれたのだ。 いつもの習慣で残る二人の姿を探して周囲に視線をやって、オレは悲鳴をあげた。 島の上には、化け物と二人しかいない。 「二人は?!」 湖の中にいたフェンとマリーの姿が見えなくなっていた。 中に落ちたのかと思って湖面を見てみたけど、化け物の腕が水に当たった時の飛沫ぐらいしかなかった。まさか、あの化け物に吹き飛ばされて気絶した状態で、湖の中に落ちたとか? 「よそ見している余裕は無いわよ!」 ダガーから鞭に持ち替えたルチカの警告でオレは我に返った。 そして大変なことを思い出す。 そうだ、今はフェンとマリーがいない。オレ達の中で一番強いフェンと回復魔法のスペシャリストであるマリーがここにはいないのだ。 魔物が突進してきた。 長い腕を真上からオレの方に振り下ろす。 なんとか避けられたけど、魔物の動きが早い。そのまま横凪ぎにはらわれたのはなんとか盾で受け流した。が、腕がしびれた。力もあるし、動きが素早いからオレが攻撃しようとしたら、その隙にすぐ殴られそうだ。 「カイリ、後ろに!」 ルチカの声を合図にオレは大きく後ろに飛んだ。彼女の鋼の鞭が魔物に襲い掛かる。鞭は魔物の肌を捕らえたけど、浅い。魔物には全然攻撃が効いてないように見えた。 素早いだけじゃなくて、防御力もあるなんてなんてやつだ。 「メラ!」 身体の堅い奴でも魔法攻撃なら通じることもある。唯一使える炎系攻撃呪文を鞭がひいたタイミングを見計らって放ってみたけれど、 「効いてないな…」 焦げ目さえもついていなかった。 まだ、打撃攻撃のほうが効いている気がする。 一気に噴出した冷や汗が気になりつつ、オレは必死で考える。 先程汲んだ回復の泉の水を試しに化け物にぶつけてみたけど、ちょっとよがっただけで効果はないようだった。オレが触れても聖なる力を感じなかったから、持ち運んでいるうちにほとんど聖なる力は消えてしまっていたのだろう。 正攻法で倒すにしても、冷静に考えて、オレの腕じゃあの化け物にはろくに攻撃が当たらない。素早いルチカなら渡り合えているけど、オレより腕力の無い彼女じゃ化け物にダメージが入らない。 今はルチカと並んで二人がかりで戦っているからなんとか硬直状態にまで出来ている。だが、どちらかが大怪我すれば一気に戦況が劣勢に傾きそうだ。 「ホイミ」 しばらく戦っているうちに、何度か化け物の攻撃がオレをかすめている。致命的な負傷はまだしてないけど、オレは腕からはかなり出血していた。 その傷を癒す為に唱えておいた呪文を化け物に殴られたルチカに咄嗟にかける。 塞がなかったオレの腕の傷からは、その間も血がだらだらと流れ落ちていたけど、余裕が無さ過ぎてかまってられない。 吹き飛ばされて転んでいたルチカが頭をふりながら起き上がって、化け物の様子を窺いながらも横目でオレを見た。 「ありがと。でも、早く自分にもホイミかけなさいよ」 オレも彼女同様化け物の様子を窺いながら、ついなんとなく笑った。腕を押さえるとぬめるものがついている。視線をやる余裕は無いけど出血が酷い。このまま放っておくと失血死しそうだ。 だがオレは傷を癒す為の呪文を唱えるのを止めていた。 「無理。魔力きれた」 「って…!」 鞭での牽制を続けながらもルチカが一瞬絶句した。 多分、彼女は何か叫びかけたのだと思う。だけど今は緊急事態だ。彼女は防御を続けつつ、鞭を大きく振り回した。 「ったく、先に自分にホイミかけなさいよねー。 …まあ、いいわ。あんたは血止めしときなさいよ。薬草はまだあるんでしょう?」 確かにこのままだと、やばい。それにこれ以上血を失うと貧血で眩暈がするかもしれない。 足手まといにはなりたくなかったオレは、ルチカに言われた通りおとなしく応急手当をした。ルチカは素早いから、防御に徹すればオレよりは化け物とうまく渡り合える。 オレは高速で手当てして、それをルチカに伝えると、彼女はもう一度鞭を大きく振って、魔物から離れた。前に出てきたオレの隣に並んで、でも魔物から目を離さないまま彼女は真剣に言う。 「ここはあたしに任せてあんたは逃げなさい」 「ルチカ!」 予想外の言葉に思わず彼女の名を呼ぶ。 なのに、ルチカはオレの方を振り向かない。 「あんたは勇者でしょう。こんなとこで終わっては駄目よ。ここはあたしに任せてあんたは引きなさい。フェンにはマリーがついてるわ。きっと大丈夫」 言いながらも彼女は鞭を振り回す。素早い彼女の動きには化け物も警戒しているようで、じりじりと距離をはかりつつ、今のところ動かない。 オレは湖面に視線をやった。 いなくなったフェンとマリーは、結構な時間が経ったのにまだ浮上してこない。信じたくないけど、帰ってこない可能性も考えないといけないのかもしれない。 そう考えた時、心臓がぎゅっと縮みあがった気がした。息が苦しい。 「なら、一緒に逃げよう!」 オレの口は咄嗟にそう言っていた。 本当はフェンもマリーも一緒がいい。というか、そうじゃないと無理だ。せっかく楽しくなってきたのに、誰もいないなんて、そんなの嫌だ。 「無理よ。向こうのほうが素早い」 混乱したオレの提案をルチカは冷静に拒否した。 どちらかが、囮にならなければ逃げられない。そうルチカは判断したのだ。 息が更に苦しくなる。手当てしたのに貧血になったのだろうか。空気が足りない、とオレの中の何かが悲鳴をあげている。 どうすればいいのだろう。 空気の足らない頭でオレは必死に考える。 何だかんだいっても、オレは勇者だ。天地属性者でアリアハンに認められてて、世界を救うことを命じられている。こういう時にどうにかできるのが勇者ってやつじゃないだろうか。 こういうことが出来るから、親父は勇者と呼ばれたのではないだろうか。 その勇者である親父も志半ばで死んで、オレがこれじゃ勇者の意味がわからない。 「ならオレがおとりをするよ」 頑張って考えて、オレにはその案しか思いつかなかった。 化け物はオレ達では倒せない。 二人一緒に逃げるには化け物の動きが早すぎる。 そしてオレはルチカを置いては逃げられない。 「勇者はあなたでしょう!」 ルチカはとうとう絶叫した。 「勇者は世界の希望なのよ。あたしには何も出来ないけど、あんたには運命がついてるんだから…だから、勇者は生き延びる為に全力を尽くしなさい!」 チャンスと見たのか化け物が襲い掛かってきた。 叫びながらもルチカは鞭を振り回し、化け物の腕をぎりぎり避けていく。 「あたしはあたしの為に、あんたを守るのよ。あたしの目的を奪わないでっ!」 腕の攻撃がルチカに当たる。彼女は大きく吹き飛ばされた。 偶然オレの近くに転がった彼女は、なんとか起き上がりながら、オレの方を振り向きもせずに残酷なことを言う。 「あたしが死んでも、あなたは生きて…」 「………」 オレは動けない。起き上がったルチカは再び化け物の方へ駆け出そうとする。 化け物の腕が大きくしなり…そして爆発した。 [ next ] |