目当ての宿は無事とれたけど、日が落ちてもルチカは帰ってこなかった。

 暇をもてあましたオレは宿屋の窓から外を見る。
 宿の二階の客室にある壁を真四角に切り取っただけの窓。昼間は陽をさえぎる為に覆いがかけてあるけれど、夜になれば風を入れる為にどの建物も覆いを上に巻き上げている。
 低い位置にある窓に腰掛けて、オレは街の通りを見下ろした。

 少し表通りから外れた場所にあるこの宿屋は、適度に静かで、だからといって表通りからそれほど外れているわけでもなく、値段も安い。人気があるのがよくわかるいい宿だった。
 耳を澄ますと表通りの喧騒が風に乗って運ばれてくる。
 昼に比べて大分ましとはいえ、気温と湿度は相変わらず高い。ぬるい風に運ばれてくるざわめきとランプの明かりは、祭りの夜を思い出させた。雑然としているのに、どこか幻想的な雰囲気なのも似ている。
 毎日がこうならアッサラームはまるで毎日が祭りのようだ。

「ちょっとくらい見てきてもいいよね…」

 アッサラームは昼と夜では雰囲気が全く違うという話は聞いている。他の家の影で今はよく見えないけれど、表通りまで出てみれば、夜のアッサラームの様子を見ることができるだろう。
 揺れる明かりに胸が高鳴る。
 マリーとフェンは宿の一階で、主人と会話しているようだ。
 外に出たいと言えば止められるのはわかっていたから、オレはこっそりと宿の外に出た。少しの間くらいなら、きっと大丈夫だろう。
 何も言わないのは流石にばれた時にまずいので、宿の入口にいた従業員に一応伝言を頼んでおく。そしてオレは外に出た。

 本当に祭りの夜のような街だった。
 表通りに出ると、昼間はなかった屋台が幾つも立ち並んでいる。
 屋台では知らない食べ物や、細々した雑貨が売られていた。あまりにも珍しいものばかりが売られているから、オレはついつい色々覗きこんでしまう。
 少しだけと決めていたのも忘れて好奇心のままに屋台を冷やかしながら歩いていたら足の向くままに街の中心にある広場にまで来てしまった。宿屋からはかなり離れた場所に来てしまったことに気づいたオレは、さすがにまずいかと苦笑して元来た方へと体の向きを変える。
 そこで、背後から声をかけられた。

「ねぇ、そこの素敵なお兄さん。星の綺麗なよるね」
「へ?」
 振り返ったオレは二度、瞬きをする。

「ええと…。こんばんは」
 わけがわからぬまま、とりあえず挨拶を返しておいた。

 オレに話しかけてきたのは、見知らぬ女性だった。
 胸くらいまで伸びた真っ直ぐな金髪。大きな瞳と厚めの唇が魅力的な、なかなかの美女だ。
 肩を大胆にはだけたワンピースから、豊かな胸の谷間がよく見えた。土地柄か、黄金色に焼けた肌はすべすべとしていて、短い上にスリットまで入ったスカートの間から、見える足は肉付きが良くてむちむちしている。
 意識せず、オレは唾を飲み込んでいた。

「ねぇ、一人なの?」
 じわりと金髪の女性はオレとの間合いを詰めて来た。
「そうだけど…」
 答えた頃にはもう真隣りだ。
 彼女の指がオレの肩にかかった。香水の甘い匂いがする。
「じゃあ…」
 彼女の胸がオレの腕に当たった。

「うちでぱふばふしていかない?」
「ぱっ…!」

 驚愕で、瞬間的に頭に血が上る。
 急激に謎の踊りを舞い始める脳内の理性は、求めてもいないのに今まで聞いた「ぱふぱふ」についての知識を呼び起こす。
 オレのような一般的な青少年には余りにも強い衝撃を残してきたこの単語をまさか、こんなに早く聞くことになるとは思わなかった。
 ぐるぐると、アリアハンの冒険者達にからかわれながらも教えられたぱふぱふの色々なアレが脳内を巡る。

「うふふ。顔赤いわよ」
「……」

 なんてことだ。
 噂だけは聞いたことがある伝説のぱふぱふ嬢が目の前にいる。
 思わずお姉さんの胸に目をやってしまったオレを責められる男はいないはずだ。

「お兄さん素敵だからサービスするわよぉ」
 彼女はオレの肩に触れたまま、蠱惑的に微笑んだ。
 素敵なんて言ってくれているのはリップサービスだろう、と頭の中の冷静な部分が指摘する。それは頭の中のほんの僅かな冷静な部分で、脳みその大部分は浮かれ上がっていた。
「来る?」
 聞かれて思わず頷いてしまったオレは成人男子として正常な奴だと思う。
 頭の中に浮かんだルチカの顔に、オレは心の中で必死に謝った。


 お姉さんに連れ込まれた店は、広場のすぐそばにあった。極彩色の塗料でけばけばしく塗られた看板が目を引く。店の前で客引きらしい派手な格好の男と酔客が歩き回っているのが、いかにもそれらしくてちょっと緊張する。

「あなた旅人でしょ。この街に来るのは初めて? ベリーダンスはもう見た?」
「今日、来た所だから…」
 緊張しながらオレは答えた。

 アッサラーム名物ベリーダンス。アッサラームには劇場があり、その劇場では休息日以外のほぼ毎夜ベリーダンスによる公演が催されている。
 きらびやかな衣装をまとった女性が踊る姿の芸術性は世の評論家達にも高く評価されているけれど、きらびやかではあるけれど肌の露出度もかなり高いそのステージ衣装と色っぽい雰囲気の踊りに眉をしかめる人間は少なく無い。ついでに言うと、その高い露出度に惹かれて劇場に足を運ぶ男も少なくない。というか、ほとんどがそうだ。

 オレのパーティにはマリーがいるからベリーダンスを普通に見に来るのは無理そうだ、とオレは思っている。
 彼女はお嬢様出身の僧侶だからきっとかなり潔癖だろう。ベリーダンスを見に行っていることがばれたら、例のように例のごとく氷のような冷たい目でオレを見るに違いない。
 アッサラームに何度も来ているルチカがどう思うかはわからないけど、ベリーダンスを見たいなんていうのは一応口に出さない方が無難だろう。

 まぁ、一度は見てみたいから別の街についてから、ルーラでこっそり帰ってきて一人でこっそり見に行こうかな〜とは実は企んでいる。噂の踊りとか肌の露出度とか、なんかもう凄いらしいし。

「そうなの〜。じゃあそのうち見に行ってよ。華やかですごく綺麗だから」
 それは、是非とも。
 口に出すのが恥ずかしいので、心の中だけで大きく頷いておいた。

 それはそうと、一個聞いておかないと。

「ええと、お姉さん?」
「なぁに?」
「色々な人からアッサラームの…ぱふぱふの話は聞いたことがあるんだけど」
「あら。純情そうにみえて案外色々知ってるのね。ん〜、何?」
「お姉さんのぱふぱふって…」

 オレはお姉さんを見上げた。
 悔しいことにオレの身長はほんの少し低めだから、背が高い上に高いヒールのサンダルをはいたお姉さんの顔を見ると、どうしても見上げるようになってしまう。
 何故か「可愛いわねぇ」とご機嫌に微笑む彼女に、オレは勇気を出してあることを質問した。





 ぱふぱふは死ぬ程気持ち良かった。
 暗闇の中、うつぶせに寝転んだオレの裸の背中を指がすべる。

「はふぅ…」
 気持ち良過ぎて変な声が出た。
 オレの声に調子づいたように、背中の指は背骨に沿ってさらに動いた。

「ん…あ…ああんっ!」
「何気持ち悪い声出してるのよあんたはっ!」
「ぶっ!」

 声が聞こえたと思ったら、顔に何かが当たった。
 思わず呻くと同時に明かりがつく。
 誰かが魔法の明かりを灯したのだろう。盗賊魔法の青白い燐光だ。
 正面に誰かがいる。背をそらせて上を見て、目が合ったオレは動けなくなった。

「ルチカ…!」

 弛緩していたはずの背筋が、一気に総毛立つ。
 背の低い寝台にうつぶせに寝転んだオレの前に、ルチカがいた。

 彼女は寝台の上に片膝を立てている。ということは、さっき顔に当たったのはルチカの足か。土足厳禁だとぱふぱふのお姉さんが言っていたからオレもそうだけど、ルチカも裸足だ。オレの目の前にはルチカの綺麗な足があった。スカートの中の下着が見えそうで見えない。
 …今の体勢がうつぶせで良かったと心から思う。

「あたしは、素人が一人でふらつくなって言ったわよね、カイリ」
 ルチカはどう見ても怒っていた。
 さらさらとした銀髪が魔法の光で青白く輝き、それが彼女が炎を背負っているように錯覚させる。怒りながらも冷たく光る緑の瞳が、長い睫毛の下からオレを見下ろしている。

「なのになんであんたは呑気にぱふぱふ屋なんかに来てるのよ!」
「あ、いや、その…」

 事態をよく飲み込めてないオレは、何の言い訳も出来ない。寝台に体を乗り上げたまま、ルチカは更に責めたてる。
「ここがあたしの知り合いだったから良かったけど、アッサラームには美人局兼ねてたり追いはぎ兼ねてたりする質の悪いぱふぱふ屋もあるのよ!」
「…この人は悪い人じゃなさそうにみえたし」
「だいたいあんたは、うちの父さんに挨拶までしておいて、よくも平気で…」
「落ち着きなさいよ」
 怒った顔も可愛いなあと現実逃避のように考えてたら、見かねたのか迷惑だったのかはわからないけれど助けが入った。

「トパーズ! だって…!」

 ルチカを宥めるようにオレ達の間に割り込んできたのは、広場でオレを誘ったぱふぱふ嬢のお姉さんだ。ルチカの口ぶりからすると、彼女の名前はトパーズというらしい。
 口を尖らせてトパーズに向き直ったルチカも可愛いなあと、まだ鳥肌がたったまま漠然と考えていると、ルチカを宥めつつトパーズはオレの方を見た。
 首をかしげると彼女はにこりと微笑みかけてくる。

「改めてご挨拶いたします、カイリ様。私は「石の女王」配下の盗賊、トパーズと申します」

 にこにこと微笑んだまま、トパーズはオレの後ろにいる男性を指差す。つい先ほどまで、オレの背中をマッサージしてくれてた人だ。
「後ろにいるのが私の父で同じく盗賊のジャック」
「トパーズは…」
 まだ機嫌悪そうにルチカが言った。
「あたしの友達よ。そして、あたしがお世話になっているっていう人のね、腹心なのよ」

「腹心だなんて。買いかぶりよ、エメラルド」
 トパーズはルチカをそう呼んだ。
「女王様から『名前』はいただいてるけどね。それはあなたも同じでしょう?」
「あたしが『名前』を貰ってるのは、カンダタの娘だからよ」
「客分なのに『名前』を貰えるってとても特別なことなのに…。まあ、いいけど」

黄玉 ( トパーズ ) 翠玉 ( エメラルド ) か。どちらも宝石の名前だ。
 名前を贈られるというのは、盗賊がよく使うコードネームが、盗賊団の選ばれた者にだけボスから与えられるという意味だろう。あまり詳しくない世界の話だけど、盗賊の間ではよくあることらしい。
 「石の女王」の部下だから与える名前が宝石名なのか、宝石名をつけるから「石の女王」なのかはわからないけれど。

「「石の女王」盗賊団は、このアッサラームに大小ある盗賊団の中で最大の規模と影響力を持った組織。本日、女王よりカイリ様を支援するようにと主だった構成員に指示がありました。このアッサラームの街はあなたの味方です」
 トパーズはルチカを指した。
「それというのも「石の女王」客分エメラルドの依頼に寄るものだというのは覚えておいてくださいね。エメラルドは女王様のお気に入りですから」
「……」
 ルチカは不機嫌そうにオレをみている。
「エメラルド、そんなに不機嫌そうにしないでよ」
 そしてトパーズはにやりと笑った。
「勇者様はマッサージだと知ってて、ここに来たんだから」


 ここに入る直前にオレはトパーズに聞いたのだ。
「アッサラームのぱふぱふ屋は、胸を…使うところと、暗闇の中でおじさんがマッサージしてくれるところがあるときいたんですが、お姉さんはどちらのぱふぱふ屋さんなんでしょうか?」

 ルチカは寝台に置いていた足を戻した。
 長い睫毛に飾られた大きな瞳が開かれて、オレをじっと見る。緑色に輝く瞳は、その名前通りのエメラルドのようにきらめいている。
「マッサージって知ってて来たの?」
 ありていに言うと、彼女の顔はとても驚いていた。
「うん。最近、体の節々が痛かったからね」
 某所をなんとか戻したオレは寝台の上に正座した。先程のルチカの剣幕が、ちょっぴり怖かったからだ。

「この暑さで、どうも体調がおかしくなったみたいで、肩とか腰とか変に痛かったんだよ」
 これは事実だ。アリアハンからずっと野宿も戦闘もそれほど酷く疲れることはなかったけれど、アッサラームに至る途中の暑さと湿気による不快さは、オレの調子を狂わせた。
 が、それは結果の話で、マッサージじゃないほうのぱふぱふ屋でも喜んで入ろうと思ってたことは黙っておこう、とオレは心の中で決意した。

「ところでカイリ様。どこでうちがマッサージをしてるってことを聞いてきたの?」
 トパーズさんが不思議そうに聞いて来た。
 オレへの誘い方の通り、彼女の店は、ぱふぱふだと期待させておいて、実はただのマッサージという男の悲しい性をついたやり口だ。あの誘い方でただのマッサージだとは普通思わない。
 私のやり方ってそんなに有名になってしまったのかしら?
 と彼女は呟く。彼女の口ぶりだと何人か同じ手口のぱふぱふ嬢がいるらしい。

「アリアハンにいた冒険者に…聞いたことがあって…」
「あんた、旅立つ前に何の情報さがしてんのよ…」

 聞いたのは旅立った後だ。しかもアッサラーム近くでだったりする。
 …フェンから聞いたっていうのは、多分絶対黙っておいたほうがいいことなのだろう。










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