神殿の居住区に借りている部屋に戻ると、フェンとマリーがなにやら真剣な顔で話をしていた。

「おかえり」
 フェンがひらひらと手を振ってくれた。
 マリーも無言のまま、彼と同じようにひらひらと手を振る。その様子がおかしくて思わず吹き出したら睨まれた。笑顔で「ただいま」と答えたら、彼女は肩をすくめて笑ったから、本気で怒っていたわけでじゃないだろうけど。

 ルチカは部屋にいない。
 二人で何か話していたフェンとマリーは、オレが帰ってきたことで、それまでの話題を打ち切ったようだ。
 マリーが椅子を動かし、オレが座る場所を広く空けてくれた。

「えと、お邪魔だった?」
「じ…、じ、じ、邪魔ってなんのことだっ?!」
「いや、なんとなくそう思っただけだけど…」
 何故かどもるフェン。彼は意味も無く立ち上がろうとして、結局ベッドに座りなおした。
 よくわからないけど、先程より元気になったみたいだ。
 オレはほっとした。

「邪魔しちゃったかもね〜」
 その声にフェンが身を震わせて大きな仕草で振り返った。
 オレが閉めたはずの扉が少しだけ開いている。その隙間から覗くのはエメラルドのような緑の瞳が見えた。
 ゆっくりと扉を開けて彼女は静かに部屋の中に入ってくる。彼女はにこやかにほほ笑んだまま、扉の前に立つオレを追い越して部屋の中を歩き、そして椅子に腰掛けた。
 その様子が何かに似ている。

「猫かお前は」
 フェンが半眼でツッコミを入れた。
「ふふふーん、武闘家が気づかないほど気配を消したつもりはないわよん。動揺してた?」
「な、何を動揺するってんだよ」
「二人っきりのところ、邪魔しちゃってごめんなさいねぇ〜」
「二人っきりだなんてそんな!」
「…そ、そうだぞ!」
「あはは。そうむきにならなくてもいいじゃない。深い意味は無いわよ」
 楽しそうなルチカ達を見つつ、残ったオレも扉を閉じて最後の一脚に座った。ちなみにこの部屋には椅子が三脚しかない。

「それより、この後どうするのか聞きにきたのよ」
 むやみにぱたぱた腕を振るフェンを受け流して、ルチカはオレを見た。
 話題が変わったことで気分が変わったのか、フェンの腕の動きが止まる。何故か落ち着きなく首を振っていたマリーの動きも止まった。今日の二人には不思議な動きが多い気がする。

「ムオルに行くの?」
 オレのかすかな疑問はルチカの質問で中断された。オレはルチカの方を向いて、散歩しながら考えていたことを思い出しながら答える。
「うん。一度行ってみようかなと思ってる」
「悪いな」
「フェンのこともあるけど、それだけじゃないよ。本当にポカパマズさんとかいう人が親父なのかも気になるし…」
「そうですね。気になります」
 マリーが頷いた。オレ達が何か言う前から、彼女はムオル村に行く気満々だ。もしかしたら先程フェンと彼女が話していたのはこのことについてだったのかもしれない。
 言ってから、彼女はちらりとフェンの方を見る。
 ふと、その視線が切なげに揺れた気がした。フェンの方は気が付いていないみたいだけれど、正面に座っているオレからはよくわかる。
 なんとなくその視線に意味がある気がしたけれど、それよりもルチカが身をゆすって椅子に座りなおした方が気になった。

「まぁ、そうなるかなと思ったけど」
 ルチカはにっこりとほほ笑んだ。
 彼女も反対しないなら、次の行先はムオル村に決定だ。
 このダーマ神殿からムオル村までは一カ月くらいかかる場所にあるけれど、もう旅に慣れたオレ達ならすぐ旅立てる距離だ。今から準備すれば明日にだって旅に出られる。
 ちょっと調べてみた感じではダーマ村への道にはそれほど強力な魔物も出てこないようだし、ルチカを守るのにも問題ない。もしかしたらカンダタのアジトで見せ損ねた最近の自主練の成果を見せるチャンスかもしれない。
 オレはこっそりと脳内に浮かんだ赤毛盗賊にガンつけながら算段してみる。

「じゃあ、いつ頃神殿を出る?」
「うん、そのことなんだけど」
 ルチカがオレの方を見た。それからフェンとマリーの方を見る。

「あたしはムオルに行かずに、ここでしばらく修行しようと思うの。だからムオル村には三人で行ってくれない?」
「え?」

 オレは間抜けな声をあげた。

「ダーマ神殿で盗賊の修行って出来るのか?」
「出来るわよ。父さんのアジトの方がレベル高いけど」
「それじゃ、わざわざここで修行する意味ないだろ」
「盗賊の修行をする意味は無いわね」
 ルチカはもう一度椅子に座りなおした。

「あのね、あたし転職しようと思うのよ」
 少し躊躇する気配をにじませながらも、彼女は強い意志を乗せた声ではっきりと言う。
「叶うなら、賢者に」
「うえええっ!?」
 オレは立ち上がった。釣られたのかフェンとマリーも立ち上がる。
 オレ達に囲まれて見下ろされる状態のルチカは、視線を上にあげてオレを見た。

「書庫通いしている合間に神殿の人に魔力を測ってもらったら、あたしって意外と理力が高いみたいなのよね」
「理力が高いということは、魔法使いの素養があるということですか…」
「そう、魔法使いに即転職出来るぐらい理力があるって太鼓判押されちゃった。うちのパーティは僧侶はマリーがいるけど、魔法使いはいないじゃない。だから、最初は魔法使いへの転職を考えてたんだけどさぁ」
「なんでまた、いきなり」
「前々から思ってたんだけどね、盗賊って前衛としては中途半端じゃない。最近はあたしよりカイリの方が前衛として機能してるのに、そのカイリが攻撃魔法も担当してるから、パーティの役割分担がアンバランスなことになってる。マリーはバギ打つより回復の方を優先して欲しいし…」
「そう卑下しなくてもいいと思うぜ。盗賊の素早さを生かした鞭での先制攻撃が有ると無いとでは全然違う」
「今はね。だけどこの先はそうはいかない。だけど魔法使いなら、魔法で皆を支援できるわ。将来的には魔法を使う職業に転職したほうが役に立つと思うのよね」

 彼女は気負いなくフェンにウィンクしてみせる。
「で、どうせならやるだけ賢者にもチャレンジしてみようと思うのよ。僧侶の魔法と、魔法使いの魔法の両方使えるならそれにこしたことはないし、リチャード神殿長の推測が事実なら神様はあたし達の誰かを賢者にしたいってことっぽくない? チャンスがあるなら挑戦してみたいわ。…そういうわけで、悟りの書を貸して欲しいの」
「ま、確かに魔法を使える人間が増えるってのは、いいかもしれねぇなぁ…」
「そうですね。私は今のところ賢者を目指そうとは思っていませんし」

 フェンとマリーが軽い様子で質問して、ルチカがやっぱり軽く答えている。
 けど、オレは余りに驚きすぎて、とてもそんな軽い様子でそのことを受け止めることなんてできなかった。

 今回のダーマへの旅は、あの気障赤毛盗賊よりもオレの方が頼りがいがあることをルチカに示すチャンスだと思っていたし、それじゃなくてもカンダタにルチカのことを頼まれたばかりだったから、オレはルチカを守る気満々でいた。
 それなのにルチカはオレと別れて行動すると言う。

 いや、オレの下心めいた野望は置いておこう。それより、ルチカと旅が出来なくなるというのは、オレの旅の目的を根底から揺るがす大事件だ。神様の願いだの勇者の使命だのという理不尽な話に苛立っても、みんなと一緒にいられるなら運命だって気にしないでおこうとようやく思えてきたばかりなのに、神様のもたらした悟りの書がルチカを遠ざけるなんて許せない。たとえそれが一時的なものであってもだ。
 ダーマ神殿だって、絶対安全な場所だというわけじゃない。オレがいない間に、ルチカに何かあったら大変だ。

「駄目だ」
 だから気が付けば、オレはそう言っていた。

「え?」
 オレが反対されるとは思ってなかったみたいだ。
 ルチカがぱっとオレの方を振り向いた。

「オレは…反対だ」
「どうしてよ」
 彼女は眉を寄せた。不機嫌と言うより不思議そうにオレを見る。

「ダーマにルチカを一人で残すなんて、心配だよ」
「一人ってわけじゃないじゃない。この神殿には魔法使いも僧侶も沢山いるわ」
「フェンもマリーもオレもいない」
「そうだけど、ダーマ神殿より安全な場所ってあんまりないと思うわよ。今ならリチャード神殿長もいるし…」
「よくないよ!」

 正直、オレはリチャード神殿長の名前に苛立った。
 あの神殿長は妙にルチカのことを気にしている気がする。
 そんな奴のところにルチカを一人で置いておくのは嫌だし、ルチカがちょっとでも神殿長のことを頼りにしているのも嫌だ。

「ちょっと、どうしたのよカイリ…」
「オレは…」
 だけどそんなことを口に出して言えるわけがない。

「じゃあ、オレも残る」

 結局オレの口から飛び出したのは、そんな言葉だった。

「え、残るって…」
「オレも神殿に残るよ。ムオルにはフェンとマリーの二人でだって行けるだろ」
 ムオル村までの道はそう危険な道じゃない。だったらオレが居なくても十分なはずだ。武道家と僧侶なら仲間としての相性もいいし。

「あなたはムオルに行くつもりじゃなかったの?」
「…別に、当てが無いからムオルに行ってみようと思ったけど、行かなきゃいけないわけじゃない」
 探るような瞳のルチカがオレを見上げる。彼女の視線の強さに耐えきれず、オレは目を逸らせた。

「図書館の調べものは専門家に任せることに決めたし、勇者の修行なんてさすがのダーマでも受け付けて無いわ。あたしの修行が終わるまでただ待つつもりなの?」
「別に急いで海に出ないといけないってこともないだろ」
「オルテガ様のことは気にならないの?」
「別に」

 我ながら、最初に言ってたことと全然矛盾したことを言っているという自覚はある。
 だけど苛立ちが収まらない。
 ふてくされたような声が出ることすら止められない。

「…あなたはムオルに行ったほうがいいわ。ヒントになるものがあるなら、行ってみたほうがいいわよ」
「ルチカだって魔法使いや賢者にならなくたって十分戦力になってるよ。転職しないといけないわけじゃないだろ」
「……」
 彼女は無言で立ち上がり、オレと向かいあった。いつの間にかフェンとマリーが一歩後ろに下がっているから、オレとルチカはお互いだけを見つめあう。

「今はそうかもしれない。でも、この先はあたしの力じゃ、あなた達と肩を並べて戦えない。あたしは足手まといになるのだけは嫌なの」
「君がそんなことになるわけない。いてくれるだけで、君は十分戦力なんだ!」
 ルチカの存在は、オレが戦う理由の最も大きなものだ。
 彼女がそばにいてくれて、彼女を守って、いつか彼女を曇りない笑顔にする。
 その為にオレはずっとルチカの傍にいたい。

「違う」

 呻くような声でルチカは言った。
 何故か、オレが理想とする彼女の笑顔とは正反対の苦しそうな声で。

「間違ってる。あなたはあたしを守ってはいけない」
「どうして?!」
 オレの目的を何故本人が否定するんだ。

「…あなたが、勇者だからよ」

 オレは絶句した。
 何か、大きな目に見えない何かがオレとルチカの間を断絶するような、そんな感覚に陥る。

「悟りの書は借りていくわ。あなた達は予定通りムオル村に行って頂戴」

 勇者だから。だったら、なんだっていうんだ。
 だけど、オレは目に見えない何かのせいで胸の奥が苦しくて、何も言えない。
 誰も何も言わない状態で、ルチカはオレに背を向けた。





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